遊ぶために遊び、寝るために寝る。
エッセンシャル思考に欠かせない孤独・洞察・遊び・睡眠・選抜。
引き続きエッセンシャル思考について
本質的なことに時間と労力を集中するには
まず、何が本質的なことが何かを見抜く必要がある。
深く考えるためには大きな集中力が必要となる。
集中力を最大に発揮するために必要なのが
孤独である。
誰にも邪魔されない時間は、あえて作らないと作れない。
深く考えるためには多くの情報が必要となる。
正しい情報を見極めるには
洞察力が必要だ。
深く考えるためにはリラックスした脳が必要となる。
リラックスは遊びの中から得ることができる。
深く考えるには覚醒している必要がある。
十分な睡眠をとっていない寝ぼけた頭では
考えることは難しい。
深く考えるには判断基準を高く設ける必要がある。
高い判断基準で選抜して妥協案に落ち着いてはいけない。
この5つの中で受けた衝撃は2つ
遊びは、それ自体を目的とした行動だ。何かのためでなく、遊びたいから遊ぶ。 ~p.110より引用
1日の徹夜や1週間の4~5時間睡眠によって「血中アルコール濃度0.1%分に相当する機能低下」が起こると説明する。
酔っぱらいをみて「いつも酔っているなんてさすが働き者だ!」と言う人はいないだろう。それなのに睡眠を削っている人はなぜか働き者だと評価される。 ~p.126より引用
まず、遊びは遊びであることがすでに本質的で
ほかの効果を期待する必要すらない。
リラックスするために遊ぶ。
こう考える必要すらないことになる。
そして睡眠。
睡眠不足は飲酒状態と同じとすると
今まで”かなり危険な状態”
で仕事をしていたことに気付かされる。
というわけで今日はここまでしか読めませんでした。
また続きを読んで投稿します。
本質的なモノはなにか
読み進めていくほどに何度もぶん殴られたような衝撃を受ける1冊
エッセンシャル思考 最小の時間で成果を最大にする~著者:グレック・マキューン
まず最初にエッセンシャルという意味は何かを調べてみました。
エッセンシャル(essential)
欠くことのできない・必須の・本質的な
つまり
欠くことのできない必須の本質的な思考方法
ということになります。
実はまだ、この本を読み終わってはいません。
それでもあまりの衝撃に思わずブログに書いてしましました。
まず一発目のパンチは
優秀な人ほど成功のパラドクスに陥りやすい
第1段階
目標をしっかり見定め、成功へと一直線に進んでいく。
第2段階
成功した結果、「頼れる人」という評判を得る。「あの人に任せておけば大丈夫」といわれ、どんどん多様な仕事を振られるようになる。
第3段階
やることが増えすぎて、時間をエネルギーがどんどん拡散されていく。疲れるばかりですべてが中途半端になる。
第4段階
本当にやるべきことができなくなる。成功したせいで、自分を成功に導いてくれた方向性を見失ってしまう。~p.31より引用
ぼくは、この第3段階に該当しているんだと深く共感しました。
なんでもソコソコこなす器用貧乏。
こういうタイプは結構いるんじゃないかと思います。
この中途半端な状況を打破するのに必要なのが
エッセンシャル思考の基礎が
①選択
②ノイズ
だと書いてあります。
簡単に説明すると
時間とエネルギーの使い道を選択し、
世の中の大半のものはノイズであるから何が重要かを正しく見極め、
何かを選ぶことは何かを捨てることと考えよう。
つまり、
一番重要なことに最大の時間とエネルギーを費やして成果をあげよう
ということ。
「世の中はそんな簡単ではなく
ひとつのことだけやっていれば許されるような会社はない!」
と反論しそうですが、
そこで二発目のパンチが飛んでくる。
すべてを手に入れることが不可能なら、何かを捨てるしかない。では、誰がそれを決めるのか?
もしも選択の権利を放棄するなら、他人があなたの人生を決めることになる。自分で「これを捨てる」と決めなければ、誰かがあなたの大切なものを捨ててしまうだろう。~p.44より引用
どうでしょう?
僕自身、上司や先輩からの「これやっとけ、あれやっとけ」を
すべて引き受けて自分のやりたいことなど考える暇もなくなっている。
高校時代を考えても、親や教師からの「これは無理、これはやめておけ」を
素直に聞き過ぎるて無難な安全策しか取らなくなった。
これは、上司や親・教師に対して非難しているのではない。
「これはやらない」と捨てるものを決めず
「これがやりたい」と言い切れなかったから
他人が可能性を捨ててしまったんだと気がついた。
つまりは、ぼくが捨てるものを決めないからだ。
~まだ、第1章の途中だけれどもまだまだ書きたいことがあるので
このブログ初の連載ものにしてみます。次回も引き続きエッセンシャル思考について
人に何かを教えることについて
誰かにモノを教えるには手順とテクニックがいることを気付かされる1冊
いちばんやさしい教える技術~著者:向後千春
多くの本の”はじめに”や”プロローグ”に
~については学校では教えてくれない。
と書いてあります。
・お金について
・恋愛について
・性について
そして本書では
”人にモノを教えることも学校では教えてくれない”
と書かれています。
私たちは、学校や会社などさまざまな場面で、いろいろなことを教えれてきました。
しかし、不思議なことに、自分が誰かに教えるための方法である「教える技術」については、教えてもらえませんでした。~はじめにより引用~
また、人がうまく学べなかったとき
”その責任は学ぶ側に押し付けられている”
とも言っています。
確かに学生時代を振り返っても教え方については習っていなし、
会社では「この前教えたんだから、それぐらいのこと考えたらわかるだろ!」と
叱られたことも何度もあります。
逆に、後輩や子供に対して
「何度言ったらわかるんた!」
と叱ったことも何度もあります。
そもそも教える技術が未熟なために
自分も相手も不快な思いをしています。
また、厄介なことに人は
誰かにモノを教えたい
人からモノを教わるのが嫌い
という2つの欲求を持っています。
教える技術を学ぶことは
「この人から教えてもらうとわかりやすくて身になる」
と教わる側の気持ちを損ねず、相手に気持よく理解してもらい。
「教えたことをちゃんと理解してくれている」
と教えた側の欲求も満たしてくれます。
詳しい内容は本で読んでもらうとして
個人的に大切だと思ったところを書き出します。
・「教えた」かどうかは「学ぶ側が学んだかどうか」で考える
・相手にとってちょうどいい知識を与える
・ゴールは必ず「行動」として設定する
~教え方のルール10カ条より抜粋~
決して自分本位に教えた気にならず、
相手の結果で教えたことが身についてはじめて教えたことになると心がける。
相手のできること、できないことを見極め
難しい言葉を使わず、小学生でもわかるように教える。
相手の心を変えるのではなく行動を変える。
「素直な気持ちを持ってほしい」
ではなく
「素直にありがとうが言える人になってほしい。」
といった方が具体的な行動で教えたほうがいい。
著者の向後千春さんは最後に
「教える技術」をあなたからみんなに広めよう
と締めくくられています。
上手に教えることでつながる人間関係は
どちらが先生でどちらが生徒といった線を引くのではなく
双方に教え教わりあう関係として大切なものになるのでしょう。